聖書ギリシア語の夕べ

日本聖書神学校の聖書ギリシア語通信講座でコイネー・ギリシア語を勉強しています

1)霊感商法の被害相談1200億円(2022.9.2 日経新聞 2面 旧統一教会と政治③) 23

 

 今朝の日本経済新聞日経新聞)の特集 “旧統一教会と政治” に宗教団体への過度な献金に対する日本の現状が載っていた。

 

 8月18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題をめぐる関係省庁会議が開かれ、被害救済を目的に法務省警察庁消費者庁内閣官房が参加し、9月に被害相談を集中的に受けることを決めた。

 しかし役割分担の曖昧さや法律の不備により問題が噴出している。

 

 消費者契約法では霊感商法を以下のように定義している。

 

 “霊感などの実証困難な能力を知見として、重大な不利益が生じるなどと不安をあおり、契約締結を迫ること”

 

 しかし、宗教団体が脅迫により信者に購入させた場合、救済する法律はあるが、信者が自主的に行う購入や献金には、制限を設けたり取り締まる法律がない。

 

 1980年代後半、霊感商法が大々的に取り上げられた。

 当時は、不運続きの人に「悪い霊がついている。この壺を買わないと恐ろしいことが起こる」や、病気の人に「あなたの運気が落ちている。この印鑑を買うと運気が上がる」みたいな事例で、まさに消費者契約法で言うところの霊感商法の定義に当てはまった。

 

 しかし、今の献金問題は、その組織の活動に賛同する人が自主的に献金するものであり、消費者契約法で取り締まることができない。

 

 文化庁には、危険な宗教団体を認定し解散させる宗務課という部署がある。しかし、解散命令が出せるのは、オウム真理教など重大な刑事事件を起こした団体だけあり、霊感商法や過度な献金は対象外だ。

 

 この記事には、全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士が、数千万円を宗教団体に献金した80代の女性について、文化庁消費者庁に通知したが、何の連絡もなく、うやむやにされてしまった話が載っている。

 

 日本には、霊感商法献金問題に対処する法律がなく、担当部署の割り振りも曖昧。担当とされる部署に相談を持ちかけても、結局、タライ回しにされ、何も対処してくれないようだ。

 

 霊感商法献金については、自分で考え “いかがわしい霊感商品や過度な献金は慎むよう” 気をつけるしかない。

 

< 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題 >

 安倍晋三元首相の銃撃事件に関連して明るみに出てきた、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治との関わり、過度な献金などをめぐる一連の問題。

 

 

<感想>

 

 私が以前通っていた日本同盟キリスト教団に属する某教会では、什一献金が奨励されていた。什一献金とは、収入の10分の1を献金することを指し、私の通っていた教会の牧師の見解では、“税引き前の収入の10分の1を献金する” とのことだった。

 

 年収600万円(税引き前)の人なら、年間60万円、月に5万円もの金額を献金する必要がある。これは私が住むアパートの家賃にも匹敵する金額だ。

 

 この献金制度については、教会員になるまで知らされない。教会員になる時、教会役員が集まった説明会で初めて聞かされる。

 

 什一献金の制度を聞き戸惑う私に、教会役員の女性はこんなことを言ったものだ。

 

「収入はすべて神様からのいただきもの。あなたが得ている給料は本来すべて神様のもの。そのことを忘れてはいけません」

 

 そうは言うものの、什一献金をしているのかチェックするわけではなく、献金するかしないかは自分で判断することとなっている。結局、私は毎月5千円しか献金しなかった。

 

 牧師は什一献金ができない人に対し「什一献金は今後の課題だね」と言っていた。

 什一献金しないことで問題となることはなかったが、後ろめたい気持ちはあった。

 

 教会では毎月、収支が公表される。

 

 牧師の給料は月30万円(税引き前)ほど。低くはないがボーナスがないことを考えれば高くもない。それでこれだけいろいろなサービスをしてくれていることを思えば、あまりケチるのもよくないと思ったものだ。

 

また、教団に属する教会は教団の看板と施設を使用しているので、毎月、教団に上納金を納めなくてはならず、またキリスト教を広めるためには、人々が目を見張る施設も必要だ。

 

 私が所属したその教会でも、新しい教会堂を建てるという目標があり(おそらく教団本部から指示されたのだろうが)、毎週、全員が “教会堂を建てる資金が集まることを神様に祈る” という儀式が行われていた。

 

 キリストの教えは素晴らしい。でもこれを人々に知らせるためには奉仕人の生活をみなければならないし、人々の目を引く建築物も必要。何から何までお金がいる。

 協力したいと思えば、財布からお金を出してしまうだろう。

 

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)でも同じような状況だと思う。

 

 私の親しくしている人に元統一教会の教会員の方がいる。

 彼の母親は熱心な信者らしく、この団体に多大なお金を献金していた。私が彼と会った時、彼は親の借金を返すために働いていた。

 

「うちほどお金がかかる宗教団体もそうそうないよ」彼は苦い顔をしてそう言った。

 

 そんな彼だが、統一教会から脱退した今でも、はっきりと「私たちの信じていた教えは良い教えであり、これを広めることは良いことだ」と言う。

 

 統一教会の持つ教義は一般的なキリスト教の教義とはかけ離れている。私は統一教会キリスト教の一派と認めることができない。そのことで彼と言い争いになったこともある。でも、確かに統一教会の教えも、良い教えには変わりない。

 

 「世界を変えたい」

 

 それは誰もが願うこと。

 一人一人の個人には世の中を変える力はない。でも宗教団体なら、それを叶える力がある。

 

 世の中は不幸で満ちている。そんな世の中を変えることができるなら、そう思えばこそ、多額の献金をしてしまうのだろう。

 

 私は今はどこの団体にも属さない単立のキリスト教会に通っている。

 ここには什一献金はない。礼拝時に1度献金するだけだ。

 私は教会堂の維持管理のため、日曜礼拝の時、千円だけ献金している。

 今の教会は、牧師を雇うことができず、教会堂もボロい。教団に入っていないので楽しい企画もない。同じ信仰を持つ人たちと集まり、時々訪れる巡回牧師の下で神様の言葉を聞くだけだ。

 

 

こちらで取り上げた記事は以下の記事です。私は紙媒体の新聞を買って読みました。

www.nikkei.com

 

 

5)霊と体(ローマの信徒への手紙 8章9節から11節より) 22

 

ΠΝΕΥΜΑ  ΚΑΙ  ΣΩΜΑ

 プネウーマ   カイ   ソーマ

1. ὑμεῖς  δὲ  οὐκ  ἐστὲ  ἐν  σαρκὶ  ἀλλὰ  ἐν  πνεύματι ,

   ヒュメイス   デ   ウーク   エステ   エン   サルキ   アッラ   エン   プネウーマティ

2. εἴπερ  πνεῦμα  θεοῦ  οἰκεῖ  ἐν  ὑμῖν .

   エイペル   プネウーマ   セウー   オイケイー   エン   ヒュミーン

3. εἰ  δέ  τις  πνεῦμα  Χριστοῦ  οὐκ  ἔχει,

     エイ   デ   ティス   プネウーマ   クリストゥー   ウーク   エケイ

4. οὗτος  οὐκ  ἔστιν  αὐτοῦ .

    フートス   ウーク   エスティン   アウトゥー

5. εἰ  δὲ  Χριστὸς ἐν  ὑμῖν ,

     エイ   デ   クリストス   エン   ヒュミーン

6. τὸ  μὲν  σῶμα  νεκρὸν  διὰ  ἁμαρτίαν ,

      ト  メン   ソーマ   ネクロン   ディア   ハマルティアン

7. τὸ  δὲ  πνεῦμα  ζωὴ  διὰ  δικαιοσύνην .

      ト   デ   プネウーマ   ゾーエー   ディア   ディカイオシューネーン

8. εἰ  δὲ  τὸ  πνεῦμα  τοῦ  ἐγείραντος  τὸν  Ἰησοῦν  ἐκ  νεκρῶν  

    エイ   デ   ト   プネウーマ   トゥー   エゲイラントス   トン   イエースーン   エク   ネクローン   オイケイー   エン  ヒュミーン

οἰκεῖ  ἐν  ὑμῖν ,

  オイケイー  エン  ヒュミーン

9. ὁ  ἐγείρας  Χριστὸν  ἐκ  νεκρῶν  ζῳοποιήσει  καὶ  

    ホ   エゲイラス   クリストン   エク   ネクローン   ゾーオポイエーセイ   カイ

τὰ  θνητὰ  σώματα  ὑμῶν  διὰ  τοῦ  ἐνοικοῦντος  αὐτοῦ  

 タ  セネータ ソーマタ   ヒュモーン   ディア   トゥー   エノイクーントス   アウトゥー

πνεύματος  ἐν  ὑμῖν .

 パネウマトス   エン ヒュミーン  

( Ρμ. 8 : 9 - 11 )

 

2.  εἴπερ もし真に、εἰ(もし)の強めた形

οἰκεῖ οἰκέω(宿る)の三人称単数形

4.  αὐτοῦ 彼の所有

5.6.7.  ἐστινが省略されている

5. εἰ  δὲ  Χριστὸς ἐν  ὑμῖν(ἐστιν) ,

6. τὸ  μὲν  σῶμα  νεκρὸν  διὰ  ἁμαρτίαν(ἐστιν) ,

7. τὸ  δὲ  πνεῦμα  ζωὴ  διὰ  δικαιοσύνην(ἐστιν) .

6.7. μὲν…δέ~ 一方では…であるが、他方では~ διὰ ~のゆえに

8. τοῦ  έγείραντος よみがえらせた者の

9. ὁ  ἐγείρας よみがえらせた者は

ζῳοποιήσει  ζωή (生命)+ποιέω(造る) (彼が)活かす

καὶ ~もまた  τὰ  θνητὰ  σώματα 死ぬべき体

διὰ  τοῦ  ἐνλικοῦντος  αὐτοῦ  πνεύματος

(あなたがたの中に)宿っている彼の霊によって。

 

<日本語訳>

霊と体

1.  あなたがたは肉の内ではなく霊の内にいます。

2.  真に神の霊があなたがたの中に宿るなら、

3.  キリストの霊を持っていないなら、

4.  その人はキリストのものではありません。

5.  キリストがあなたがたの内にいるのなら、

6.   体は罪によって死んでいますが、

7.   霊は義によって生きているのです。

8.   イエスを死人の内よりよみがえらせた方の霊があなたがたの中に宿るなら、

9.   キリストを死人の内からよみがえらせた方は、あなたがたの中に宿っている彼の霊によって、死すべきあなたがたの体をも活かしてくださいます。

(ローマの信徒への手紙 第8章9節から11節)教科書 第十三課より

 

<教科書>

 改訂新版 新約聖書ギリシア語独習

 著者:玉川直重 監修:土岐健治

 2008年4月10日 新装版第1刷発行

 キリスト教新聞社

 

 

4)カナの婚宴(ヨハネの福音書 第2章1節から5節) 21

 

1.  καὶ  τῇ  ἡμέρᾳ  τῇ  τρίτῃ  γάμος  ἐγένετο  ἐν  Κανὰ  τῆς  Γαλιλαίας ,

      カイ   テ-   ヘーメラ   テー   トリテー   ガモス   エゲネト   エン   カナ   テース   ガリライアス

    καὶ  ἦν  ἡ  μήτηρ  τοῦ  Ἰησοῦ  ἐκεῖ *   

     カイ   エーン   ヘー   メーテール   トゥー   イエースー   エケイ

 

2.  ἐκλήθη  δὲ  καὶ  ὁ  Ἰησοῦς  καὶ  οἱ  μαθηταὶ  αὐτοῦ  εἰς  τὸν  γάμον .  

    エクレーセー   デ   カイ   ホ   イエースース   カイ   ホイ   マテータイ   アウトゥー   エイス   トン   ガモン

 

3.  καὶ  ὑστερήσαντος  οἶνου  λέγει  ἡ  μήτηρ  τοῦ  Ἰησοῦ  πρὸς  αὐτόν * 

       カイ   ヒュステレーサントス   オイヌー   レゲイ   ヘー   メーテール   トゥー   イエースー   プロス   アウトン

    οἶνον  οὐκ  ἔχουσιν .  

      オイノン   ウーク   エクーシン

 

 4. καὶ  λέγει  αὐτῇ  ὁ  Ἰησοῦς * 

      カイ   レゲイ   アウテー   ホ   イエースース

    τί  ἐμοὶ  καὶ  σοί ,  γύναι ;   οὔπω  ἥκει  ἡ  ὥρα  μου .  

     ティ   エモイ   カイ   ソイ   ギュナイ     ウーポー   ヘーケイ   ヘー   ホーラ   ムー 

 

 5. λέγει  ἡ  μήτηρ  αὐτοῦ  τοῖς  διακόνοις * 

      レゲイ   ヘー   メーテール   アウトゥー   トイス   ディアコノイス

    ὅ  τι  ἄν  λέγῃ  ὑμῖν  ποιήσατε .

     ホ   ティ   アン   レゲー   ヒュミーン   ポイエーサテ

( Ιω . 2 : 1 - 5 )

 

1. καὶ  τῇ  ἡμέρᾳ  τῇ  τρίτῃ  3日目に  γάμος 結婚式  ἐκεῖ そこに

2. ἐκλήθη 彼が招かれた  καὶ  … καὶ ~  …も~も

3. ὑστερήσαντος  οἶνου   ぶどう酒が尽きた時

4. τί  ἐμοὶ  καὶ  σοί ,  γύναι ;   婦人よ。それが私とあなたと何の関係があるのですか?

   οὔπω  ἥκει まだ来ていない  ἡ  ὥρα 時

5. ὅ  τι  ἄν  λέγῃ 彼の言うことは何でも  ποιήσατε 実行しなさい

 

<日本語訳>

1. そして3日目に、ガラリアのカナで結婚式があり、そこにイエスの母がいた。

2. また、イエスもその弟子たちも招かれてそこにいた。

3. ぶどう酒が尽きた時に、イエスの母は彼に言った。

 「彼らはぶどう酒を持っていません。」

4. すると、イエスは彼女に言った。

「婦人よ、それがあなたと私に何の関係があるのですか?まだ私の時は来ていません。」

5. 彼の母は給仕をしている者たちに言った。

「彼の言うことは何でもなさってください。」

ヨハネ福音書 第2章1節から5節) 教科書 第十一課(P45)より

 

<教科書>

 改訂新版 新約聖書ギリシア語独習

 著者:玉川直重 監修:土岐健治

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14)日本聖書神学校の添削指導のペン入れの字は判読不明なことがあります 20

 

 添削指導のペン入れの字ですが、総じて雑であり、判読不明なこともあります。

 相手は先生という立場なので、こちらから文句は言えませんが、読めないのは、さすがに困ります。

 手書きで文字を書くのは手間のかかる作業なので気持ちは分かるのですが、もう少し丁寧に書いてもいいものではないでしょうか。

 

 昔の先生はまるで活字のように綺麗な字を書きましたが、今の先生は普段はキーボードで文字を打つため総じて字が汚い。

 でも教育者なら、他人を教えるために字を書くのであり、他人がわかりやすい、少なくとも読める字を書く必要があると感じます。

 

 私自身、字がうまい方ではないので、手書きで書くのは苦手です。

 でも、下手は下手なりに丁寧に書くことで、相手が読める字を心がけています。

 文字を書くのは手間ですが、文字が雑だと、その人の添削指導する気持ちまで読み取れるようです。

 また、雑ならまだしも、読めないと、ペン入れの意味がなくなります。

 

 添削指導を受けられる方は、ペン入れの字が判読不明なこともあることを覚悟しておく必要があります。

 

 今の時代、文字を手で書くことは少ないですが、手で書かざるを得ない状況があるので、少しは練習しておかなければいけないなと感じます。

 小学生向けの書き取り教材など見ると、”大人こそ書き取り練習が必要ではないか?” と思われます。

 それにしても、字の汚い大人が増えましたね。綺麗に書くことが手間なのは分かりますが、ぐちゃぐちゃぐちゃと書いてすませるのは、やめて欲しいです。

 仕事などでも汚くて読めない字を書く人がいて、困ったものでした。

 字が綺麗なだけで相手へ誠意が伝わる。手間でも綺麗な字を心がけたいものです。

 これは汚い字を書きがちな私自身への反省でもあります。

 

 

 余談ですが、前回あげました ”添削指導のいい加減さ” と、今回取り上げました “字の雑さ” などから、正直、日本聖書神学校の教育に対する姿勢が読み取れてしまいます。

 牧師を目指す人なら、ちょっとこの学校はやめておこうと考え、他の学校へと流れてしまうかもしれませんね。

 

 

3)洗礼者ヨハネとユダヤ人の問答 19

 

Ἰουδαῖοι.     σὺ  τίς  εἶ ; 

ユダイオイ   シュ   ティス  エイ

Ἰωάννης.     ἐγὼ  οὐκ  εἰμὶ  ὁ  χριστός . 

ヨアネース             エゴー  ウーク   エイミ   ホ   クリストス

Ἰουδ.            τί  οὗν ;  σὺ  Ἠλίας  εἶ ;

      ティ  ウーン     シュ     エリアス    エイ  

Ἰω.                οὐκ  εἰμί 

       ウーク    エイミ

Ἰουδ.             ὁ  προφήτης  εἶ  σύ ;

       ホ   プロフェテース     エイ   シュ

Ἰω.                οὔ .

       ウー

Ἰουδ.             τίς  εἶ ;

       ティス  エイ

Ἰω.                ἐγώ  εἰμι  φωνὴ  βοῶντος  ἐν  τῇ  ἐρήμῳ .

       エゴー  エイミ    フォーネー  ボオーントス     エン  テエー   エレモー

( Ιω.  1 : 19-23 )

 

ユダヤ人     あなたは誰ですか?

洗礼者 ヨハネ    私はキリストではありません。

ユダヤ人     ではいったいあなたは何ですか? あなたはエリヤですか?

洗礼者 ヨハネ    私はエリヤではありません。

ユダヤ人     あなたはあの預言者ですか?

洗礼者 ヨハネ    違います。

ユダヤ人       いったい、あなたは誰ですか?

洗礼者 ヨハネ    私は荒野で叫ぶ者の声です。

ヨハネ福音書1章19節~23節より)教科書では第九課に掲載

 

 これはユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わし、いったいヨハネは何なのか?本人に尋ねさせた一幕から切り抜いた会話。ギリシア語初級者でも理解しやすい対話形式の文章だ。

 

<教科書>

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 著者:玉川直重 監修:土岐健治

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2)国会図書館のギリシア語の標語 “Η  ΑΛΗΘΕΙΑ  ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ” (ヨハネの福音書8章32節)の意味 18

 

 東京都千代田区永田町、国立国会図書館、本館2階の図書貸出しカウンターにはこんなギリシア語の句が掲げられている。

 

 “Η  ΑΛΗΘΕΙΑ  ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ”

 

 これを小文字にし、記号をつけるとこうなる。

 “ ἡ  ἀλήθεια ἐλευθερώσει  ὑμᾶς.

   ヘー   アレーセィア    エレウセローセイ     ヒュマース 。

 

  日本語訳:真理はあなたたちを自由にする。

  ἀλήθεια(真理) ἐλευθερώσει(自由にする) ὑμᾶς(あなたがたを)

   アレーセィア       エレウセローセイ           ヒュマース

 

 これはヨハネ福音書 8章32節にある句だ。

 イエスを信じたユダヤ人に向かって、イエスは「私に従いなさい。そうすればあなた方は真理を知る。そして真理は人を自由にする」と言う。

 

 

 聖書よりこの箇所を引用してみよう。

 

31.  Ἔλεγεν  οὖν  ὁ  Ἰησοῦς  πρὸς  τοὺς  πεπιστευκότας  αὐτῷ  Ἰουδαίους . 

        エレゲン    ウーン   ホ    イエースース   プロス    トゥース    ペピステウコタス           アウトー      ユダイウス 。

 

        ἐὰν  ὑμεῖς  μείνητε  ἐν  τῳ  λόγῳ  τῷ  ἐμῷ ,   ἀληθῶς  μαθητααί  μού  ἐστε , 

    エアン  ヒュメイース   メイネーテ     エン   トー     ロゴー   トー エモー  、 アレーソース     マセータアアイ  ム-  エステ 、  

 

32.  καί γνώσεσθε  τὴν ἀλήθειαν,  καί  ἡ  ἀλήθεια  ἐλευθερώσει  ὑμᾶς. 

   カイ グノ-セスセ    テーン  アレーセイアン  、 カイ   ヘー アレーセイア   エレウセローセイ          ヒュマース 。

 

33.  ἀπεκρίθησαν  πρὸς  αὐτόν . 

   アペクリセーサン         プロス       アウトン 。

 

       Σπέρμα  Ἀβραάμ  ἐσμεν  καὶ  οὐδενί  δεδουλεύκαμεν  πώποτε . 

    スペルマ       アブラアム  ズメン     カイ      ウデニ       デドゥレウカメン        ポーポテ 。

 

        πῶς  σὺ  λέγεις  ὄτι Ἐλεύθροι  γενήσεσθε ;   

   ポース   シュ    レゲイス   オティ  エレウセロイ         ゲネーセスセ ?

 

34.  Απεκρίθη  αὐτοῖς  ὁ  Ἰησοῦς . 

    アペクリセー      アウトイー    ホ    イエースース  。

 

       ᾽Αμὴν  ἀμὴν  λέγω  ὑμῖν  ὅτι  πᾶς  ὁ  ποιῶν  τὴν  ἁμαρτίαν

   アメーン     アメーン   レゴー  ヒュミーン  ホティ   パース  ホ   ポイオーン  テーン   ハマルティアン

 

      δοῦλός  ἐστιν  τῆς  ἁμαρτίας . 

  ドゥ~ロス   エスティン   テース   ハマルティアス 。

 

35.  ὁ  δὲ  δοῦλος  οὐ  μένει  ἐν  τῇ  οίκίᾳ  είς  τὸν  αἰωνα . 

   ホ    デ   ドゥーロス   ウー    メネイ    エン   テー   オイキアー  エイス   トン    アイオーナ 。

 

      ὁ υἱὸς  μένει  εἰς  τὸν  αἰῶνα . 

   ホ  ヒュイオス  メネイ    エイス    トン    アイオーナ 。

 

36.  ἐὰν  οὖν  ὁ  υἱὸς  ὑμᾶς  ἐλευθερώσῃ , 

   エアン    ウーン  ホ  ヒュイオス  ヒュマース   エレウセローセー 、

 

      ὄντως  ἐλεύθεροι  ἔσεσθε .

  オントース     エレウセロイ        エセスセ 。

 

 

31.そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。

 

32.そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

 

33.彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」

 

34.イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者は皆、罪の奴隷です。

 

35.奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。

 

36.ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。

 

ヨハネによる福音書 8章31節~36節)新改訳2003年版

 

 

<日本語訳で気になったところ>

 

1)“ 私のことば ”  “ 私とことば ” どちら?(31節より)

 

 μείνητε  ἐν  τῳ  λόγῳ  τῷ  ἐμῷ ,  

 メイネーテ       エン   トー   ロゴー     トー   エモー 、

 

 これは “私のことばに留まる” と訳されているが、τῳ  λόγῳ  τῷ  ἐμῷ と“ことば”と“私”が並べて表記されているので、“私に留まる”+“ことばに留まる”で、“私とことばに留まる” の方が、よりギリシア語の表現に近いように思われる。

 

 “私のことば”なら τῷ  λόγῳ  έμοῦ の方がしっくり来る。

 また 人称代名詞のἐμῷ に定冠詞がつくのは、与格をとる前置詞 ἐκ がこの言葉にもかかっているからだ。

 

 “私のことば” なら、“私の話した言葉”の 意味になるが、“私とことば”なら、私とは別にことば(ロゴス)というものがあるような印象を受ける。

 また、イエスが発した言葉なら、ギリシア語で “言葉” という意味の “ῥῆμα(レーマ)” を使うと思う。

 λόγος(ロゴス)は、単純に日本語の言葉と訳せる言葉ではなく、考えれば考えるほどよく分からない(λόγῳ はλόγοςの与格)。

 

 

2)δοῦλος(ドゥーロス)は奴隷というより“しもべ(従う人)”に近い言葉(34節より)

 

 日本語の奴隷というと、鎖でつながれ自由を奪われた人をイメージするが、ギリシア語のδοῦλοςは自らの意志で仕える奉仕者のような意味。

 この箇所では奴隷と訳されているが、たいていの箇所は “しもべ” と訳されている。

 つまり、ここで言う奴隷は、他者が無理やり言うことを聞かせる奴隷ではなく、自分の意志で従うことで自らを縛っている使用人(サラリーマン)のような感じ。

 ギリシア語で読み解くと、後の文章もしっくりくる。

 

 “罪を犯す人は罪の奴隷”と言っているのは、“他人から強要され罪を犯している”という意味ではないく、“自分の意志で罪に奉仕しているため罪を犯している”となる。

 真理を知ることで、そのサイクルから解放される。それをイエスは自由と呼んでいる。

 

 国会図書館の標語だけ見ても、“真理を知ると、何をどう自由になるか?” 分からない。

 イエスを信じたユダヤ人にしても、「俺たちは誰に奉仕させられているわけでもなく、自由意志で生きている」と反論している。

 それに対しイエスは「あなたたちは無知なため、自分の意志で、罪を犯す人生にとらわれ、息苦しい思いをしているのですよ」と指摘している。

※この箇所の英訳(キング・ジェームズ版)はservant(使用人)であり、slave(奴隷)ではない。

 

 

3)35節と36節の意味が分からない

 

 さりげなく読んでいた箇所だが、改めて見ると、言っていることの意味が分からない。

 

 奴隷(罪の人)はいつまでも家にいない。子はいつまでもいる。

 いつまでも家にいる子が解放すれば、本当の自由を得られる。

 

 その人がいつまでも家にいようがいまいが、他人を自由にする権威に違いはないと思う。

 でも「いつまでもいる子が解放するから、本当の自由が得られるのだ」と言い切っているところの意味が分からない。

 

 英訳(キング・ジェームズ版)を見るとこうなっている。

 35. And  the servant  abideth  not  in  the  house  for  ever :  but  Son  abideth  ever .

 36. If  the  Son  therefore  shall  make  you  free ,  ye  shall  be  free  indeed .

 

 よって34節のδοῦλος(ドゥーロス)と35節36節のδοῦλοςは違うものと考える。

 34節までのδοῦλοςは、イエスを信じたユダヤ人(罪のしもべ)のことを指しており、35節、36節のδοῦλοςは、“神の家にいる奉仕者”のことを言っている。

 

 そう考えると、34節までで「真理は人を自由にする」項目は終わっていて、35節からはイエスの権威について話していることとなる。

 たとえ神の家に奉仕する人であっても、イエス以外の人は奉仕者であり、いつまでも人を自由にさせておく権威を持っていない。

 なぜなら彼らはしもべであり、いつまでも神の家にいるわけではないから。

 イエスは子でありいつまでも神の家にいる。そのため人をいつまでも自由にさせておく権威を持っている。

 

 ギリシア語のδὲは、日本語では“さて”または”しかし”と訳される後置詞(文頭には置けない単語)だが、“さて”と訳せば話題を変えることになり、“しかし”と訳せば前の文を受けての逆接となる。

 訳文では、”さて” なら前の文の文頭に置かれ、“しかし” なら前の文を受けての逆接なので後ろの文(子はいつまでも住む)の頭にくる。

 英語でもδὲはbutと訳され、子の前に来ている。でも私は前の文の頭に来る “さて” の方がしっくりくる。

 

 

 <感想>

 イエスを信じたユダヤ人たちは、自分達が真理から離れ、それにより不幸のサイクルのとりこになっていることに気づいていない。

 今の日本人も、誰の奴隷にもなっていないと思っているが、まわりを見回せば、奴隷のように人生を消耗している人ばかり。結局、我々も真理から離れてしまったため、自ら奴隷の状態に自分を置いているのかもしれない。

 “真理を知れば、自由になれる”

 イエスにつき従い、彼の言葉を信じた時、人は本当に真理を知り不幸のサイクルから自由になれる。

 私自身も、世の中のさまざまなしがらみにとらわれ、いまだ奴隷の状態なのだろう。

 また、真理が人を自由にするのは、キリスト教だけの話ではない。

 正しい知識を持つものが自由を手にし、自由が幸福をもたらす。

 

 

国立図書館ギリシア語の標語 (東京都千代田区

 

 

13)ギリシア語の名詞(辞書の見方と格変化) 17

 

辞書の見方(名詞)

 

 λόγος ,   ου ,  ὁ 

 単数・主格、単数・属格の語尾、定冠詞(単数・主格)

 単数・主格が見出し語、単数・属格の語尾で変化形が分かる。

 定冠詞で性別が分かる。

 

 この単語は、語尾の形(単数・属格)がουなので、Ο変化の名詞と分かる。また定冠詞から男性名詞と分かる。そのため以下のように変化する。

 

 <単数>

 主格  ὁ     λόγος

 属格 τοῦ  λόγου

 与格 τῷ    λόγῷ

 対格 τὸν   λόγον

 呼格           λόγε

 <複数>

 主格 οἱ        λόγοι

 属格 τῶν    λόγων

 与格 τοῖς   λόγοις

 対格 τοὺς  λόγους

 呼格            λόγοι

 

 名詞につく定冠詞は名詞の変化に伴い変化する。

 定冠詞は呼格にはつかない。

 

 定冠詞

 <単数> 男性  女性 中性 

 主格          ὁ         ἡ         τό

 属格         τοῦ     τῆς       τοῦ

 与格         τῷ       τῇ       τῷ

 対格         τόν      τήν      τό

 <複数>

 主格          οἱ         αἱ        τά

 属格        τῶν      τῶν     τῶν

 与格        τοῖς      ταῖς     τοῖς

 対格        τούς     τάς       τά

 

 語尾の変化は、男性、女性、中性の別はないが、男性名詞多い形、女性名詞に多い形などある。また中性名詞は主格と対格の語尾が同じ形になる。

 

名詞の変化形

 

<A変化(第一変化名詞)>

 単数・主格の語尾がης, ας, η, αで終わる名詞。

 ほとんどが女性名詞。

 

 ης形

 προφήτης,  οῦ ,  ὁ ( 預言者

 <単数>

 主格    ὁ     προφήτης

 属格 τοῦ    προφήτου

 与格 τῷ     προφήτῃ

 対格 τὸν    προφήτην

 呼格      προφῆτα

 <複数>

 主格  οἱ     προφῆται

 属格 τῶν  προφητῶν

 与格 τοῖς  προφήταις

 対格 τοὺς προφῆτας

 呼格          προφῆται

 

 ας形

 νεανίας ,  οῦ ,  ὁ ( 若者 )

 <単数>

 主格  ὁ       νεανίας

 属格 τοῦ    νεανίου

 与格 τῷ      νεανίᾳ

 対格 τὸν    νεανίαν

 呼格            νεανία

 <複数>

 主格 οἱ      νεανίαι

 属格 τῶν   νεανίων

 与格 τοῖς  νεανίαις

 対格 τοὺς νεανίας

 呼格           νεανίαι

 

 η形

 γραφή ,  ῆς ,  ἡ ( 書物 )

 <単数>

 主格   ἡ    γραφή

 属格 τῆς  γραφῆς

 与格 τῇ    γραφῇ

 対格 τὴν  γραφήν

 呼格         γραφή

 <複数>

 主格 αἱ      γραφαί

 属格 τῶν  γραφῶν

 与格 ταῖς  γραφαῖς

 対格 τὰς   γραφάς

 呼格          γραφαί

 

 α形( αの前が ε, ι, ρ のもの )

 οἰκία ,  ας ,  ἡ ( 家 )

 <単数>

 主格    ἡ     οἰκία

 属格 τῆς    οἰκίας 

 与格 τῇ      οἰκίᾳ

 対格 τὴν    οἰκίαν

 呼格           οἰκία

 <複数>

 主格   αἰ      οἰκίαι

 属格 τῶν    οἰκίῶν

 与格 ταῖς    οἰκίαις

 対格 τὰς     οἰκίας

 呼格            οἰκίαι

 

 α形 ( αの前が ε,ι, ρ 以外のもの)

 δόξα ,  ης ,  ἡ ( 栄光 )

 <単数>

 主格   ἡ     δόξα

 属格 τὴς   δόξης

 与格 τῇ     δόξῃ

 対格 τὴν   δόξαν

 呼格          δόξα

 <複数>

 主格 αἱ       δόξαι

 属格 τῶν   δοξῶν

 与格 ταῖς   δόξαις

 対格 τὰς    δόξας

 呼格           δόξαι

 

 

 <O変化(第二変化名詞)>

 単数・主格の語尾が ος,  ον になる変化形。

 男性名詞、中性名詞に多い。

 

 λόγος ,   οῦ ,  ὁ ( ことば )

 <単数>        

 主格  ὁ       λόγος

 属格 τοῦ   λόγου

 与格 τῷ     λόγῷ 

 対格 τὸν   λόγον

 呼格            λόγε

 <複数>

 主格 οἱ        λόγοι

 属格 τῶν   λόγων

 与格 τοῖς   λόγοις

 対格 τούς  λόγους

 呼格           λόγοι

 

 νήσος,  οῦ,  ἡ ( 島 )

 <単数>

 主格  ἡ      νήσος  

 属格 τῆς   νήσου

 与格 τῇ     νήσῳ

 対格 τὴν   νήσον

 呼格           νήσε

 <複数>

 主格 αἱ      νήσοι

 属格 τῶν  νήσων

 与格 ταῖς  νήσοις

 対格 τὰς   νήσους

 呼格           νήσοι

 

 βιβλίον,  οῦ,  τό ( 本 )

 <単数>

 主格 τὸ   βιβλίον

 属格 τοῦ   βιβλίου

 与格 τῷ     βιβλίῳ

 対格 τὸ   βιβλίον

 呼格           βιβλίε

 <複数>

 主格 τὰ      βιβλία

 属格 τῶν   βιβλίων

 与格 τοῖς    βιβλίοις

 対格 τὰ.     βιβλία

 呼格           βιβλία

 

 

<子音変化(第三変化名詞)>

 語幹が母音 α, ο 以外で終わる名詞。

 基本的に語幹は子音で終わる。

 ごくまれに ι, υ で終わるものがある。

 

第三変化名詞の語幹の見方

 単数・属格から -ος をとったもの。

 

語幹の終わりの子音が以下のどれかで変化形が変わる。

 流音子音: ν ρ ( λ μ )

 黙音子音: κ γ χ ( π β φ ) τ δ (θ)

 歯擦子音: σ

   母音: ι υ

 ( )はごく少数。

 

 語幹 αἰων  流音子音νで終わる。

 αἰών,  ῶνος ,  ὁ ( 時代 )

 <単数>

 主格    ὁ      αἰών

 属格 τοῦ     αίῶνος

 与格 τῷ      αἰῶνι

 対格 τὸν     αἰῶνα

 呼格            αίών

 <複数>

 主格  οἰ       αίῶνες

 属格 τῶν    αἰώνων

 与格 τοῖς    αἰῶσι

 対格 τοὺς   αἰώνας

 呼格             αἰῶνες

 

 語幹 ἐλπίδ  黙音子音δで終わる。

 ἐλπίς ,  ίδος ,  ἡ( 希望 )

 <単数>

 主格   ἡ      ἐλπίς

 属格 τῆς    ἐλπίδος

 与格 τῇ      ἐλπίδι

 対格 τὴν    ἐλπίας

 呼格           ἐλπί

 <複数>

 主格  αἱ      έλπίδες

 属格 τῶν   ἐλπίδων

 与格 ταῖς   ἐλπίσι

 対格 τὰς    ἐλπίδας

 呼格           ἐλπίδες

 

 語幹 ὄνοματ  黙音子音τで終わる。

 ὄνομα ,  ατος ,  τό ( 名前 )

 <単数>

 主格 τὸ     ὄνομα

 属格 τοῦ   ὀνόματος

 与格 τῷ    ὀνόματι

 対格 τὸ     ὄνομα

 呼格          ὄνομα

 <複数>

 主格 τὰ      ὀνόματες

 属格 τῶν    ὀνομάτων

 与格 τοῖς    ὀνόμασι

 対格 τὰ      ὀνόματες

 呼格            ὀνόματες

 

 語幹 πατερ  流音子音ρで終わる。

 πατήρ ,  τρός ,  ὁ ( 父 )

 <単数>

 主格   ὁ     πατήρ

 属格 τοῦ   πατρός

 与格 τῷ     πατρί

 対格 τὸν   πατέρα

 呼格           πάτερ

 <複数>

 主格 οἰ      πατέρες

 属格 τῶν   πατέρων

 与格 τοῖς  πατράσι

 対格 τοὺς πατέρας

 呼格           πατέρες

 

 語幹 μήτερ  流音子音ρで終わる。

 μήτηρ ,  τρός ,  ἡ ( 母 )

 <単数>

 主格 ἡ      μήτηρ

 属格 τῆς  μητρός

 与格 τῇ    μητρί

 対格 τὴν  μητέρα

 呼格          μῆτερ

 <複数>

 主格   αί      μητέρες

 属格 τῶν    μητέρων

 与格 ταῖς    μητράσι

 対格 τὰς     μητέρας

 呼格             μητέρες

 

 語幹 άνερ  流音子音ρで終わる。

 ἀνήρ ,  δρός ,  ὁ ( 男 )

 <単数>

 主格   ὀ      ἀνήρ

 属格 τοῦ    ἀνδρός

 与格 τῷ      ἀνδρί

 対格 τὸν    ἄνδρα

 呼格           ἄνερ

 <複数>

 主格   οἱ      ἄνδρες 

 属格 τῶν    ἀνδρῶν

 与格 τοῖς    ἀνδράσι

 対格 τοὺς   ἄνδρας

 呼格             ἄνδρες

 

 語幹  ἔθνεσ  歯擦子音σで終わる。

 ἔθνος ,  ους ,  τό ( 国民 )

 <単数>

 主格 τὸ       ἔθνος

 属格 τοῦ    ἔθνους  ( ἔθνεσ -ος)

 与格 τῷ      ἔθνει      ( ἔθνεσ -ι)

 対格 τὸ      ἔθνος

 呼格            ἕθνος

 <複数>

 主格 τὰ      ἔυνη       ( ἔθνεσ -α )

 属格 τῶν   ἔθνῶν     ( ἔθνεσ -ων )

 与格 τοῖς   ἕθνεσι  ( ἔθνεσ -σι )

 対格 τοὺς  ἔθνη       ( ἔθνεσ -α )

 呼格            έθνη       ( ἔθνεσ -α )

 ( )は本来の変化形。εσ またはσが落ちて実際形になる。

 

 語幹  πόλι  母音のιで終わる。

 πόλις ,  έως ,  ἡ ( 都市 ) 

 <単数>

 主格   ἡ      πόλις

 属格 τῆς    πόλεως

 与格 τῇ      πόλει

 対格 τὴν    πόλιν

 呼格           πόλι

 <複数>

 主格 αἰ      πόλεις

 属格 τῶν   πόλεων

 与格 ταῖς   πόλεσι

 対格 τὰς    πόλεις

 呼格              πόλεις

 

 語幹  βασιλευ  母音のυで終わる。

 βασιλεύς ,  έως ,  ὁ ( 王 ) 

 <単数>

 主格    ὁ      βασιλεύς

 属格 τοῦ     βασιλέως

 与格 τῷ      βασιλεῖ

 対格 τὸν     βασιλέα

 呼格            βασιλεῦ

 <複数>

 主格 τὰ       βασιλεῖς

 属格 τῶν    βασιλέων

 与格 τοῖς    βασιλεῦσι

 対格 τοὺς   βασιλεῖς

 呼格               βασιλεῖς

 

12)日本聖書神学校の添削指導を信用してはならない 16

 

 添削指導では、解答がすべてチェックしてある。またそれぞれの要点が書かれている。

 そのため、私は、当初 “添削指導ではすべてしっかりチェックしてくれているもの” と考えていた。

 しかし、解答を見直してみると、アクセントの移動の誤り、定冠詞のつけ忘れ、明らかに違う単語を書いてしまった箇所など、訂正していないケースが頻繁に見られる。

 “日本聖書神学校の指導教員が指導したい箇所をチェックする” のが添削指導であり、指導教員は細かい箇所まではチェックしていない。

 

 添削指導を信用せず、“返ってきた解答は必ず自分でチェックする” こと!

 

<チェックしていない箇所の例>

 

17 練習問題(教科書P13)

 ἄγγελοςとἄνθρωποςの格変化によるアクセントの位置の変化が誤っている。

 アクセント規則によるアクセントの移動は、まったく指導してくれていない。

 Παῦλοςの曲アクセントの変化が誤っているが指導されていない。

 

<アクセント規則1>

 語尾が二重母音か長母音になった場合、アンテパエヌルティマにアクセントをつけることができないので、アクセントはパエヌルティマに移動する。

 

<アクセント規則2>

 語尾が二重母音か長母音になった場合、パエヌルティマの曲アクセントは、鋭アクセントに変化する。

 

 

23 練習問題(教科書P15)

 2.“使徒たちの言葉に。” を訳せ、なのに、τῳ λόγῳ  τῶν λόγςν. と、同じ言葉で同じ言葉を修飾しており明らかにおかしい。またτῳのアクセントをつけ忘れている。しかし丸がつけられている。

 正解)τῷ λόγῳ  τῶν  ἀποστόλων. 使徒たちの言葉に。

 3.Παῦλεは呼格なので定冠詞はつかない。またΠαῦλεは呼格なので、ἀδελφόςは、呼格ἀδελφέとなる。また二重母音なのに前の母音にアクセントをつけてしまっている。またそのアクセントの種類も間違えている。これらの誤りをまったく指摘していない。

 正解)ἀδελφέ  Παῦλε 兄弟パウロよ。

 

 

格変化を反映した訳にすること、語末のシグマの形などは、しっかりチェックしている。

 

 

 

 添削指導を受けることで自分の誤りが分かると考えていたが、これでは参考程度しかならない。

 添削指導をつけることで、通信講座の値段は18,000円高くなる。

 この金額で、こまめに返信をしてくれることと、誤りを指摘してくれることを考えれば、つけるかつけないかを考えた場合、つけた方がよい。

 しかし、訂正されていないからといって正しいとは限らない。

 

 金額が金額だけに、担当者は添削指導を片手間仕事で行っており、それほどしっかり見ているわけでない。

 

 

11)新約聖書ギリシア語の語順・文章の読み方 15

 

 ギリシア語は格変化により主語か目的語か表せるため、語順に関しては比較的自由だ。

 新約聖書ギリシア語では、基本的には主語・目的語・動詞のSOV の形をとるが、そうでないことも多い。

 しかも、修飾語もてんでバラバラに散らばっているように見えるので、以下の文法のルールを知らないと、文章が読めない

 ※注意!現代ギリシア語は基本がSVO型。

 

 

1)“ギリシア語は動詞を中心にできている”ので動詞を探す

 

 動詞は文章のどこに来るか分からない。最初に来たり、真ん中に来たり、ひどい場合は修飾語と名詞の間に来たりもする。基本は最後なので、最後を見て、なければ他の場所を探す。

 動詞には動詞特有の語尾(ω/εις /ει/ομεν/ετε/συσιν)がある。

 

 

2)文章中に動詞がなければ、冠詞のつかない形容詞を探す

 

 ギリシア語では名詞を修飾する形容詞には冠詞がつく。冠詞がつかない形容詞は単独で述語となる(動詞を省略した文型)。

 

 

3)名詞は位置ではなく格により主語か目的語かを判断する

 

 英語は単語の位置で主語か目的語か判断するが、ギリシア語は名詞の格変化で判断する。

 動詞が主語の前に出てしまうことも多く、目的語が主語の前に出てしまうものもある。

 必ず格を見ること。

 

4)冠詞のついた形容詞は数、格、性が一致する名詞を修飾する

 

 ギリシア語の形容詞は、単数か複数かの数、格変化、性を持ち、修飾する名詞に合わせ、それらが変化する。※冠詞のつかない形容詞は動詞を省略した文章の述語となる。

 

 

5)ギリシア語は基本的に後ろから前の言葉を修飾する。名詞が修飾語の時は属格になる

 

 ἴδε   ὀ ἀμνὸς  τοῦ θεοῦ.

 見よ!  子羊   神の

 名詞であっても、属格なら修飾語と分かる。

 

 

<分かりやすいSOV型の基本形>

 ὀ θεός αγάπη έστίν.  ἐστίνが動詞(注目!) 

             ※ἐστίνのνは語末か次の文字が母音の時につく。

 

 動詞によってその文章がどの文型か分かる。この文章はἐστίν(εἰμἰ)なのでコピュラ文。

 コピュラ文とは “ 主語 = 補語 ” になる文章のこと。英語のbe動詞を使った第2文型にあたる。

 

   ὀ     θεός    αγάπη   έστίν.

 冠詞   名詞  補語   動詞

        S            C            0

 

 日本語訳: 神は 愛 です 。

 

 

<主語が省略された形>

 ἀμὴν  ἀμὴν  λέγω  σοι.   λέγωが動詞(注目!)

   

 λέγωは1人称単数形なので、主語はεγώ(私)と分かる。εγώは省略されている。

 この文章はλέγω(他動詞)なので、目的語をとる。

 英語の他動詞を使った第3文型にあたると分かる。

 εγώがないことから主語は省略されているので、目的語(名詞)を探す。

 動詞の前はἀμὴνだが、これは感嘆詞なので目的語になれない。

 新約聖書ギリシア語では語順の規則はゆるい。SOVとは限らない。動詞の前に目的語がなければ後ろを探す。σοιは与格(目的語の格)。σοιが目的語と分かる。

 

 ἀμὴν   ἀμήν    λέγω   σοι.

 感嘆詞 感嘆詞 動詞 目的語

    (S)     V      O   

 主語は動詞で分かるため省略。

 

  日本語訳: まことに、まことに、私はあなたがたに言います。

 ※日本語でも主語は省略されることが多いが、日本語の場合、動詞の形から主語が分かるわけではない、文脈から判断しているだけなので、必ず主語をつけて訳す。

 

 

<動詞が省略された形> 

 ὁ θεός ἀληθινός. 動詞がない!冠詞のつかない形容詞を探す。

 形容詞を修飾語として名詞を修飾する時は冠詞をつける(形容詞の属性的用法)。

 冠詞がつかない形容詞は述語となる(形容詞の述語的用法)。

 ὁ はθεόςの冠詞なので、ἀληθινόςには冠詞がつかない。形容詞の述語的用法と分かる。 

 θεόςは主格(主語の格)なので目的語ではなく主語だと分かる。

 

  ὁ  θεός ἀληθινός.

 冠詞 名詞 形容詞(述語的用法) 動詞 ἐστἰ νが省略されている。

       S   C              (V)

 

 日本語訳: 神は真実だ。

 

 

その他のルール

 

1)主語は省略されることが多い

 

 ギリシア語では主語によって動詞が変化するため、私、あなた、彼、彼女、それ、などの主語は、基本的に省略される。そのため主語が省略されOV型の文章になる。

 

 

2)動詞が省略されることもある

 

 主語と補語だけの文書は英語のbe動詞に相当する動詞εἰμἰ(エイミ)が省略される。日本語の形容詞と同じようにギリシア語の形容詞も単独で述語になることができる。ただし述語になる形容詞には冠詞がつかない。

 

 

3)後置詞は文頭に置けないので、2番目にくる

 

 δε(さて)、γαρ(したがって)などの接続詞は後置詞となっているため、文の頭に置けない。そのため2番目に来る。

 冠詞が文頭にくる文章では、後置詞は冠詞の後ろにつくので、冠詞と名詞(主語)の間に接続語が来るような、日本人から見ればおかしな形をとる。

 

 

<後置詞のある文章>

εἶς  γάρ  ἐστιν  ὑμῶν  ὀ  διδάσκαλος.

 

 動詞はἐστιν。ὑμῶνは属格なので目的語ではなく修飾語。基本は後ろから修飾だがこのように前に出ることもある。

 διδάσκαλοςが冠詞のついた主格の名詞なので主語になる。

 εἶςは、一人称、男性、主格で補語となる。

 γάρは後置詞なので文頭には置けないため、εἶςの後ろに来る。文章の意味を考えるときは省いてみると分かりやすい。

 

 この文は主語と補語がひっくり返ってしまっているため、読みにくい。

 εἶς  γάρ  ἐστιν  ὑμῶν  ὀ  διδάσκαλος.

 補語 接続詞 動詞         主語

  C      V          S

 

基本的な形にするとこうなる。

ὀ  διδάσκαλος ὑμῶν εἶς ἐστιν.

    主語           補語  動詞

     S             C   V

 

これに後置詞のγάρを加える。

ὀ    γάρ   διδάσκαλος ὑμῶν εἶς ἐστιν.

冠詞 接続詞  主語       補語 動詞

          S          C   V

これが本来の形。

 

日本語訳: ですから、あなたがたの先生は一人なのです。

 

 

10)新約聖書ギリシア語の文法の決まり15ヵ条 14

 

1)名詞には、性、数(単・複)、格(5つ)がある

 

 ギリシア語は名詞の格により主語か目的語かを見分ける。

 これは一般名詞だけでなく固有名詞にも格がある。ただし、固有名詞は固有なので単数形のみ。固有名詞の性は実際の性別。

 

 

2)単語には語幹と語尾があり語尾は変化する

 

 ギリシア語の単語には語幹と語尾があり、語尾は性、数、格に応じて変化する。

 ἐιμίなど一部の例外を除き語尾の変化形は決まっているので、それを覚えればよい。日本語の単語には後ろに助詞がつくが、ギリシア語ではその助詞にあたるのが語尾といった感じ。

 

 

3)コイネー時代のギリシア語に不定冠詞はない

 

 新約聖書ギリシア語には不定冠詞(英語の“a”)はない。冠詞は定冠詞のみ。

 「ある◯◯が」と表したい時は、冠詞をつけずそのまま「◯◯」と表記するか、「◯◯  τις」と不定代名詞のτις(冠詞ではない)をつける。※現在ギリシア語では、不定冠詞として1を意味するἐναςをつける。

 

 

4)定冠詞には、性、数(単・複)、格(4つ)がある

 

 英語ではthe一つだが、ギリシア語では、名詞の性、数、格により変化する。

 定冠詞の格が4つなのは、定冠詞は呼格の名詞につかないからである。

 

 

5)定冠詞は一般名詞だけでなく固有名詞にもつく

 

 英語では固有名詞の前には定冠詞はつかないが、ギリシア語では定冠詞がつく。人の名前の前にも定冠詞がつくので注意。

 

 

6)定冠詞と名詞の間に後置詞が入ることがある

 

 後置詞は文頭に置けない決まりになっているため、それが文頭にくる場合、無理やり定冠詞と名詞の間に入ってくる。定冠詞が後置詞にかかり、それに続く名詞には冠詞がつかないように見えるので注意。

 後置詞:文頭に置くことができず、2番目に置かれる単語

 

 

7)形容詞には、性、数(単・複)、格(5つ)がある

 

 形容詞はそれぞれ性、数、格の一致する名詞を修飾する。その形容詞がどの名詞を修飾しているか分からない時は、その形容詞と性、数、格が一致している名詞を探す。

 

 

8)形容詞には定冠詞がつく場合とつかない場合がある

 

 形容詞に定冠詞をつけ名詞の直後に置き、後ろから名詞を修飾する場合、定冠詞と名詞の間に形容詞を入れ、後ろの名詞を修飾する場合、その形容詞は名詞の属性を表す形容詞。(形容詞の属性的用法)※限定用法とも言う。

 形容詞に定冠詞がつかない場合かつ定冠詞と名詞の間に置かれていない場合、その形容詞は、その文章の補語になるか、動詞を省略し単独で述語になる。(形容詞の述語的用法)※述語用法とも言う。

 主語となる名詞にはたいてい定冠詞がつく。

 

 

9)形容詞は名詞として使うことができる

 

 形容詞は前に定冠詞を置き名詞として扱うことができる(形容詞の名詞化)。形容詞“美しい”に定冠詞をつけ“美しい人”の意味とするなど。

 

 

10)副詞には性・数・格はない

 

 形容詞は名詞を修飾するため、名詞に合わせ性・数・格の変化があるが、動詞または文全体を修飾する副詞にはこれらがない。

 

 

11)品詞と格で単語の役割を区別する

 

 主語になれるのは主格の名詞。

 述語になれるのは動詞か冠詞のつかない形容詞。

 目的語になれるのは与格か対格の名詞。

 補語になれるのは主格の名詞か冠詞がつかない主格の形容詞。

 属格の名詞は他の名詞の修飾語になる。

 ※名詞化した形容詞は名詞として扱う。

 

 

12)語順は、基本の配置はあるが、かなり緩やか

 

 新約聖書ギリシア語の基本的な文型は主語(S)目的語/補語(O/C)動詞(V)のSOV型(日本語と同じ)だが、そうでないことが多いので、あてにならない。

 

 

13)前置詞は後ろにとれる名詞の格が決まっている

 

 前置詞の後ろには決まった格の名詞がくる(前置詞の格支配)。

 前置詞は名詞をくっつき前置詞句を形成する。前置詞句自体には性、数、格はない。

 前置詞は1つの格の名詞しかとれないものから複数の格の名詞がとれるものまである。複数の格の名詞がとれる前置詞は、名詞の格によって意味が変わる。

 

 

14)最後が ι で終わる動詞には、ν がつくことがある

 

 ἐιμίの変化形、ἑστίとἐισίは、文章の最後にくる場合と次の単語の頭文字が母音の場合は、基本的にνをつける。

 

 

15)基本的に文頭も小文字

 

 英語のように文頭を大文字で書く規則はない。基本的に文頭も小文字。ただ必要に応じて大文字で書く時もある。

 

 

9)ギリシア語のアクセントの位置を制限する規則(制限規則) 13

ギリシア語のアクセント>

 鋭アクセント( ´ ):普通のアクセント(高く読む)。

 重(低)アクセント(  ):語末の鋭アクセントが変化したもの。実質無アクセント。

 語末に鋭アクセントを持つ単語の後ろに単語が続く時、鋭アクセントが重アクセントに変化する。そのため最後の音節だけにつく。

 曲アクセント( ῀ ):長母音と二重母音だけにつく。前半を高く、後半を低く読む。

 

 音節とは母音を中心とした音のかたまり。母音の数だけ音節がある。

 ギリシア語には後ろから3番目までラテン語の音節名が付けられている。

 

 ἄνθρωπος  ἄνθ/ρω/πος 

 

 πος 後ろから数えて1番目が ウルティマ

 ρω  後ろから数えて2番目が パエヌルティマ

 ανθ  後ろから数えて3番目が アンテパエヌルティマ

 

 ギリシア語のアクセントはこのいずれかにつく。

 

 

<アクセントの基本>

 

 1)鋭アクセントは、最後の音節から数えて3音節以内につく。

 2)重アクセントは、最後の音節(ウルティマ)のみにつく。

 3)曲アクセントは、最後の音節から数えて2音節以内につく。

 

 アクセントは、なるべく単数・主格(見出し語)のアクセントを保とうとするため、基本的に格変化しても位置は変わらない。

 アクセントは、最後から3音節以内につく(ウルティマ、パエヌルティマ、アンテパエヌルティマのいずれかにつく)。

 アクセントは、アクセント規則で変更せざるを得ない時、前の音節につこうとする。 

 

 

<アクセントの規則>

 

 ギリシア語にはアクセントに関し3つ規則がある。

 この規則のため、単語の活用に伴いアクセントの種類や位置が変わることがある。

 

<規則1>

 鋭アクセントは、語末から数えて3音節以内につけることができる。

 しかし、語末音節の母音に長母音や二重母音がくると語末から数えて3音節目につけることができない。その場合、鋭アクセントは2番目の音節に移動する。

 

 規則1・例 ἄνθρωπος(人間)

主格 ὀ  ἄνθρωπος   語末が短母音(ο)なので、アクセントの変更なし。

属格 τοῦ  άνθρώπου  語末が二重母音(ου)なので、アクセントは後ろの音節へ。

与格 τῷ   ἀνθρώπῳ   語末が長母音(ῳ)なので、アクセントは後ろの音節へ。   

対格 τὸν  ἄνθρωπον 語末が短母音(ο)なので、アクセントの変更なし。

 

 

<規則2>

 曲アクセントは、語末から数えて2音節以内につけることができる。

 しかし、語末音節の母音に長母音や二重母音がくると、曲アクセントは語末から数えて2音節目の音節につけることができない。その場合、曲アクセントは鋭アクセントに変わる。

 また、語末音節が短母音で語末から数えて2番目の音節に長母音がくる場合、2番目の音節につけるアクセントは曲アクセントとなる。

 

 規則2・例 νῆσος(島)

主格 ἠ  νῆσος   語末が短母音(ο)なので、アクセントの変更なし。

属格 τὴς  νήσου 語末が二重母音(ου)なので、鋭アクセントに変更。

与格 τῇ   νήσῳ   語末が長母音(ῳ)なので、鋭アクセントに変更。

対格 τὴν νῆσον  語末が短母音(ο)なので、アクセントの変更なし。

 

<規則3>

 語末から数えて2音節以内にある母音が “長母音+短母音” または “二重母音+短母音” である時、語末から数えて2番目の音節につけるアクセントは曲アクセントになる。

 

 規則3・例 πολίτης(市民)ιは短音と長音の区別がないが、ここのιは長い母音

主格・単数 ὀ  πολίτης  “長母音+長母音” なので鋭アクセント。

主格・複数 οἰ  πολῖται αιは短母音扱い。“長母音+短母音” で曲アクセントになる。

 

 

<規則1、規則2、規則3に共通する注意>

 ただし、語末の οι と αιは二重母音にも関わらずアクセント規則をみるときは短母音として扱う。そのため語末にοι と αιがきた場合も、語末から数えて3音節目に鋭アクセントをつけることができる。ただしοιςとαιςのように後ろにςがつくと、二重母音とみなす。

 

 

<その他の留意事項>

 動詞のアクセントはアクセント規則が許す限りできるだけ語頭へさかのぼろうとする。

※アクセント規則により、アンテパエヌルティマ(語末から数えて3番目の音節)よりさかのぼれないのでアンテパエヌルティマにつこうとするとの意味。

 

 

8)ギリシア語の前接語がアクセントを前の単語に受け渡す場合 12

 

 前接語とは、前の単語とセットで発音される単語。

 

 前接語は前の単語にアクセントを渡すことがある(前の単語は2つアクセントを持つことになる)。

 

<前接語が前の単語にアクセントを受け渡す場合>

 

 1)語末から3番目の音節に鋭アクセントがある単語

 2)語末から2番目の音節に曲アクセントがある単語

 3)語末の音節に鋭アクセントがある単語

  

 3)は本来語末の鋭アクセントが重アクセントになり無アクセント化するのだが、後ろに前接詞が来る場合、前接語の鋭アクセントが語末に受け渡され、結果、語末のアクセントは鋭アクセントを保ったままとなる。

 

  1)の例 φιλόσοφος     φιλόσοφός  έστιν

  2)の例 Ἀθηναῖος          Ἀθηναῖός   έιμι

  3)の例 ἀεί                      ἀεί  ἐισιν

 

 

 <前接語が前の単語にアクセントを受け渡さない場合>

 

 1)語末の音節に曲アクセントがある単語

 2)語末から2番目の音節に鋭アクセントがある単語

 

 ただし、ἐστίνなど2音節の前接語が続く場合は1)と2)で違いがある。

 1)の場合は前接語のἐστίνはアクセントを失うが、前の単語のアクセントは変わらない。

 2)の場合は前接語のἐστίνはアクセントを失わず、前の単語のアクセントも変わらない。

 前接語がアクセントを失わないのは、このケースだけ。

 

 1)の例 ὀδῶν     ὀδῶν  ἐστιν

 2)の例 βιβλίον     βιβλίον  ἐστίν

 

 

7)新約聖書ギリシア語の単語の決まり7ヵ条 11

 

1)単語の頭に母音がきたときは気息記号がつく

 

 無気音( ᾽ )は発音しないが、有気音( ῾ )はhの子音がつく。

  ἀδελφός( アデルフォス )兄弟

       ἁμαρτία( ハマルティア ) 罪

 

 

2)二重母音は二番目の母音の上に気息記号がつく

 

 二重母音(母音が重なるもの)が単語の頭にきた時は二番目の母音の頭に気息記号をつけるが、有気音の場合は前の母音にhの子音をつけて発音する。

    αὐτό( アウト )     それ

    εὑρίσκω( ヘウリスコー ) 見出す

 

 

3)アクセント記号を表記する

 

 ギリシア語は単語にアクセント記号をつけて表記する(かなり面倒だが仕方ない)。

 鋭アクセント( ´ ):普通のアクセント(高く読む)。

 重(低)アクセント( ` ):語末の鋭アクセントが変化したもの。実質無アクセント。

 語末に鋭アクセントを持つ単語の後ろに単語が続く時、鋭アクセントが重アクセントに変化する。そのため最後の音節だけにつく。

 曲アクセント( ῀ ):長母音と二重母音だけにつく。前半を高く、後半を低く読む。

 

 

4)アクセントは高低アクセント

 

 現在ギリシア語は英語と同じ強弱アクセントだが、コイネー時代のギリシア語は日本語と同じ高低アクセント。

 そうはいうものの強弱なのか高低なのか区別は難しい。

 また鋭アクセント、重アクセント、曲アクセントなど区別できない。

 そこまで厳格でなくてもよい。

 

 アクセントは基本的に1単語に1カ所つく。

 ただし後接語(アクセントのない単語)や前接語によるアクセントの受け渡しで、前接語のアクセントが消え前接語の前の単語に2カ所つくなど、例外はある。

 

 後接語:冠詞 ὁ のようにアクセントを持たず後ろの単語とセットで発音される単語。

     単独で発音することはできず必ず後ろに単語をともなう。定冠詞、前置詞。

 

 前接語:前の単語とセットで発音される単語。

     前接語はアクセントを前の単語に受け渡すことがある。

 

 鋭アクセントも曲アクセントも少し長く伸ばす程度しか発音できない。

 ただアクセントがあることだけはおさえておく必要がある(鋭アクセントの位置で意味が違う単語、τιςなどがある)。

 

 

5)語末のシグマ(σ) は語末形のシグマ(ς)を使う

 

 シグマは大文字は1つ(Σ)だが、小文字は語末とそれ以外(σ ς)の2つがある。語末形は語末のみに使用。また普通のシグマは語末には使用できない。

 

 

6)後ろにくる文字で発音が変わる文字がある

 

 γ : κγχξが後ろにくる γ は ν(n)の発音になる。

   σ: βδγμが後ろにくる σ は はz(濁音)の発音になる。

 

 

7)下書きの ι (イオータ) は発音しない

 

 古典期のギリシア語では下書きのイオータを読むが、コイネー時代のギリシア語では下書きの ι (イオータ) は発音しない。

 

 下書きの ι (イオータ)とは、ᾳ ῃ ῳ にある( )のこと。

 下書きの ι (イオータ)は長母音の下につき、古典期はそれぞれ「アーイ」「エーイ」「オーイ」と発音するが、コイネー時代からは「アー」「エー」「オー」と母音のみ発音し下書きの ι (イオータ)は発音しなくなった。

 ただし下書きの ι (イオータ) がつくのは長母音なので、短母音と長母音の区別のない文字 α は、下書きの ι (イオータ) がつけば、長母音と判断できる。

 

 

6)ギリシア語は日本語の名詞+格助詞で1つの単語(ギリシア語の格変化の話) 10

 

 私はギリシア語を勉強するまで格変化という言葉を知らなかった。

 格変化とは、名詞などの語尾が主語になるか目的語になるかなどにより変化するもの。

 簡単に言ってしまえば、日本語のように名詞の後ろに”て、に、を、が(格助詞)”みたいなものがつくと考えればよい。

 だからギリシア語の名詞は、それぞれ格に従い、格助詞をつけた形で訳さなければならない。

 

 以下、私が誤って訳した添削課題の写真

 

 

新約聖書ギリシア語独習 練習課題13(教科書 P11•P12)の解答

1. θεοῦ 神の θεόν 神を

2. ἄνθρωπος 人は ἄνθρωπε 人よ ἀνθρωπῳ 人に

3. κυρίου 主の ἄγγελον 御使いの δούλω しもべに υἱός 子は

4. υἱὸς θεοῦ 神の子は

5. υἱὸς ἀνθρώπου 人の子は ἄνγγελον κυρίον 主の御使いを

6. δούλῳ Χριστοῦ キリストのしもべに υἱὲ θεοῦ 神の子よ

7. ῳ ἄωθρωπε θεοῦ おー!神の人よ

8. Παῦλος δούλος θεοῦ 神のしもべパウロ

9. λόγος υἱοῦ θεοῦ 神の子の言葉は

10. λόγος Παύλου δούλου Χριστοῦ キリストのしもべパウロの言葉は

 

ギリシア語の名詞を日本語に訳す時は必ずギリシア語の格に合った格助詞をつける。

 

 ギリシア語の格変化(コイネー時代)

 主格(第1格):私は、あなたは、彼は、彼女は 日本語の“名詞+はorが格助詞”

 属格(第2格):私の、あなたの、彼の、彼女の 日本語の“名詞+の(所有格)”

 与格(第3格):私に、あなたに、彼に、彼女に 日本語の“に格助詞”

 対格(第4格):私を、あなたを、彼を、彼女を 日本語の“を格助詞”

 呼格(第5格):◯◯よ、呼びかける形(新約聖書時代以降は主格で代用することが多い)

 主格は主語。属格は所有。与格と対格は目的語。呼格は呼びかけ。そんな感じで覚えればよい。

※現在ギリシア語では、前置詞σε(セ)+対格で与格を表すため、与格は消滅。主格、属格、対格の3格となっている。

 

 ヨーロッパの言葉の多くには、もともと格変化があった。

 それが残っているのがギリシア語だ。

 英語は代名詞だけ、その名残が見られる。

 

 英語の格変化

 主格 :I、you、he、she

 所有格:my、your、his、her(ギリシア語の属格に相当)

 目的格:me、you、him、her(ギリシア語の与格と対格に相当)

 

 またギリシア語では、前置詞の後ろに置く言葉の格が決まっている(前置詞の格支配)

 1つの格しかとれない前置詞と複数の格がとれる前置詞があるが、複数の格がとれる前置詞であっても、どの格かによって同じ言葉でも意味が違ってしまう。

 ちなみに前置詞の後ろに置かれた場合、格にはこんな感じのニュアンスが現れることが多い。

 

 属格:ある物の中から出てくるイメージ。( 英語の out of ) 

 与格:ある物の中にあるイメージ。( 英語の in )

 対格:ある物へ向かっていくイメージ。( 英語の into )

 

 あくまでイメージであり、全然違うこともあるので注意。

 前置詞は目的語の前につくものなので主語を表す主格の前にはつかない。

 

 <例> 

 ἐκ (エク)、ἐν (エン)、εἰς (エイス)、παρά (パラ)

 ἐκ+ 属格 ~の中から   παρά+対格 ~のそばへ

 ἐν+与格 ~の中に    παρά+属格 ~のそばから

 εἰς+対格 ~の中へ    παρά+与格 ~のそばで

 

 格変化が5つもあり、しかもそれぞれ単数と複数とある。合計10個。

 1つの単語が10個もの変化形を持つ。

 しかも性によって変化形が違う。同じ性でも3つほど変化の型がある。

 最初から気が滅入る話であり、実際、一覧表を見てかなり気が滅入る。

 これで「ギリシア語は難しい」と言って断念してしまう人も多いだろう。

 

 しかしその変化形には、おおよそ傾向がある。

 慣れてくると感覚で予想がつくようになる。

 

 英語のように自分で考え文章を書いたり言葉を発したりしなければいけない言語なら、一字一句覚えなければならない。

 しかし古典を読むだけなら、なんとなく感覚で、これが与格かな、これが対格かなと予想がつけば、文脈からそれとなく読めてしまう。

 最初はそんな感じでいいのではないかと思う。

 

 また格変化をやるとギリシア語が物事を的確に表すことのできる優れた言語だと分かる。

 日本語ではあいまいにしか表せないことでも、ギリシア語では明確に表すことができる。

 例えば「眠れる森の美女」という名詞句がある。

 日本語では眠っているのは森なのか美女なのかが分からない。

 英語なら「The sleeping beauty in the forest 」なら眠っているのは美女だし、「The beauty in the sleeping forest」なら眠っているのは森でありそこにいる美女となる。

 ギリシア語も英語と同じようにはっきりと表すことができる。

 

 英語は単語の位置関係で主語か目的語かなどを表すが、ギリシア語はそれを格で表す。

 英語の方が覚えることが少なくシンプルでよいと思う。昔の人もそう考えたのだろう。

 ギリシア語も時代が下るに従い、言葉の順序が決まり、格の役割は減る傾向にある。

 

 しかし、位置関係で主語や目的語を表す言葉より日本語やギリシア語のように名詞の後ろに格助詞をつけたり名詞の語尾を変化をさせたりしてそれを示す言葉の方が、細かい感情の機微を伝えることができる。

 また、これらの言語は単語の配置が崩れても意味が崩れないので、単語を置く位置を変え、さらに微妙な心の変化をも伝えることができる。

 

 “そんな侘び寂びなど必要ない。それより情報を的確に伝えることが大事”

 そうかもしれない。でもギリシア語の繊細さは、同じく繊細な言葉を持つ日本人としては、ほほ笑ましい。

 

 

1)新約聖書をギリシア語で読んでみよう ヨハネの福音書の冒頭 Ἐν ἀρχῇ  ἦν ὁ Λόγος,  9

 

 新約聖書ギリシア語独習の教科書では、意味がわからなくてもいいから、とりあえずギリシア語の聖書に触れてみようといったコーナーがある。

 

 まず筆頭はこのヨハネ福音書にある冒頭の文章。

 超がつくぐらい有名な箇所だが、ギリシア語で読むとさっぱり分からない。

 ギリシア語の音を楽しむぐらいの感覚で読んでみた。

 

ヨハネ福音書1章1節から5節 (第二課)

 

1. Ἐν ἀρχῇ  ἦν ὁ Λόγος,  καὶ  ὁ  Λόγος  ἦν  πρὸς  τὸν  θεόν, καὶ θεὸς  ἦν  ὁ  Λόγος. 

  エン  アルケー  エーン  ホ    ロゴス 、  カイ   ホ    ロゴス    エーン  プロス    トン     セオン 、  カイ  セオス    エーン  ホ    ロゴス 。

2. Οὖτος  ἦν  ἐν  αρχῇ  πρὸς  τὸν  θεόν.

   フートス     エーン エン   アルケー    プロス    トン     セオン。

3. πάντα  δἰ  αὐτοῦ  ἐγένετο, καὶ  χωρὶς  αὐτοῦ  ἐγένετο  οὐδέ  ἕν.

  パンタ    ディ    アウトゥ      エゲネト   、  カイ    コーリス     アウトゥ      エゲネト       ウデ    エン。

4. ὅ  γέγονεν  ἐν  αὐτῷ  ζωὴ  ἦν, καὶ  ἡ  ζωὴ  ἧν  τὸ  φῶς τῶν  ἀνθρώπων῾ 

  ホ    ゲゴネン    エン    アウトー  ゾーエー エーン、カイ  ヘー ゾーエー エーン  ト   フォース  トーン      アンテローポ-ン。

5. καὶ  τὸ  φῶς  ἐν  τῇ  σκοτία  φαίνει,  καὶ  ἡ  σκοτία  αὐτὸ  οὐ  κατέλαβεν.

     カイ    ト    フォース  エン   テー   スコーティア    ファイネイ、  カイ ヘー  スコティア     アウトゥ    ウ     カテラベン。

 

1. 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。  

2. この方は、初めに神とともにおられた。

3. すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

4. この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5. 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

新改訳聖書2003年版)

 

 この聖句の中で、1節、“πρός(プロス)” を日本語訳では “ともに” と訳している。

 しかしギリシア語の前置詞 “πρός(プロス)”  は、“ともに”というより、“へ向かう” という意味あいの前置詞であり、実際はうまく訳せない。

 ラテン語訳では原語の通り訳しているそうだが、16世紀の宗教改革の時、あの有名なマルティン・ルターが聖書をドイツ語に訳すにあたり、ミッテ(ともに)と訳し、その後、欽定訳聖書(17世紀・英語)もそれにならい、その流れで日本語聖書でも “ともに” となっている。

 

 また新改訳では “Λόγος(ロゴス)” を “言葉” ではなく “ことば” とひらがなで訳し、単純に言葉ではないことを示そうとしている。

 実際、ギリシア語で単純に言葉(単語)と言う時は “ῥῆμα(レーマ)” を使う。

 この “Λόγος(ロゴス)” という言葉が本当は何を指すのか?

 英語の~logy(学問の部門名の後ろにつく)の語源、深い意味がありそうだ。