聖書ギリシア語の夕べ

日本聖書神学校の聖書ギリシア語通信講座でコイネー・ギリシア語を勉強しています

1)霊感商法の被害相談1200億円(2022.9.2 日経新聞 2面 旧統一教会と政治③) 23

 

 今朝の日本経済新聞日経新聞)の特集 “旧統一教会と政治” に宗教団体への過度な献金に対する日本の現状が載っていた。

 

 8月18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題をめぐる関係省庁会議が開かれ、被害救済を目的に法務省警察庁消費者庁内閣官房が参加し、9月に被害相談を集中的に受けることを決めた。

 しかし役割分担の曖昧さや法律の不備により問題が噴出している。

 

 消費者契約法では霊感商法を以下のように定義している。

 

 “霊感などの実証困難な能力を知見として、重大な不利益が生じるなどと不安をあおり、契約締結を迫ること”

 

 しかし、宗教団体が脅迫により信者に購入させた場合、救済する法律はあるが、信者が自主的に行う購入や献金には、制限を設けたり取り締まる法律がない。

 

 1980年代後半、霊感商法が大々的に取り上げられた。

 当時は、不運続きの人に「悪い霊がついている。この壺を買わないと恐ろしいことが起こる」や、病気の人に「あなたの運気が落ちている。この印鑑を買うと運気が上がる」みたいな事例で、まさに消費者契約法で言うところの霊感商法の定義に当てはまった。

 

 しかし、今の献金問題は、その組織の活動に賛同する人が自主的に献金するものであり、消費者契約法で取り締まることができない。

 

 文化庁には、危険な宗教団体を認定し解散させる宗務課という部署がある。しかし、解散命令が出せるのは、オウム真理教など重大な刑事事件を起こした団体だけあり、霊感商法や過度な献金は対象外だ。

 

 この記事には、全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士が、数千万円を宗教団体に献金した80代の女性について、文化庁消費者庁に通知したが、何の連絡もなく、うやむやにされてしまった話が載っている。

 

 日本には、霊感商法献金問題に対処する法律がなく、担当部署の割り振りも曖昧。担当とされる部署に相談を持ちかけても、結局、タライ回しにされ、何も対処してくれないようだ。

 

 霊感商法献金については、自分で考え “いかがわしい霊感商品や過度な献金は慎むよう” 気をつけるしかない。

 

< 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題 >

 安倍晋三元首相の銃撃事件に関連して明るみに出てきた、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治との関わり、過度な献金などをめぐる一連の問題。

 

 

<感想>

 

 私が以前通っていた日本同盟キリスト教団に属する某教会では、什一献金が奨励されていた。什一献金とは、収入の10分の1を献金することを指し、私の通っていた教会の牧師の見解では、“税引き前の収入の10分の1を献金する” とのことだった。

 

 年収600万円(税引き前)の人なら、年間60万円、月に5万円もの金額を献金する必要がある。これは私が住むアパートの家賃にも匹敵する金額だ。

 

 この献金制度については、教会員になるまで知らされない。教会員になる時、教会役員が集まった説明会で初めて聞かされる。

 

 什一献金の制度を聞き戸惑う私に、教会役員の女性はこんなことを言ったものだ。

 

「収入はすべて神様からのいただきもの。あなたが得ている給料は本来すべて神様のもの。そのことを忘れてはいけません」

 

 そうは言うものの、什一献金をしているのかチェックするわけではなく、献金するかしないかは自分で判断することとなっている。結局、私は毎月5千円しか献金しなかった。

 

 牧師は什一献金ができない人に対し「什一献金は今後の課題だね」と言っていた。

 什一献金しないことで問題となることはなかったが、後ろめたい気持ちはあった。

 

 教会では毎月、収支が公表される。

 

 牧師の給料は月30万円(税引き前)ほど。低くはないがボーナスがないことを考えれば高くもない。それでこれだけいろいろなサービスをしてくれていることを思えば、あまりケチるのもよくないと思ったものだ。

 

また、教団に属する教会は教団の看板と施設を使用しているので、毎月、教団に上納金を納めなくてはならず、またキリスト教を広めるためには、人々が目を見張る施設も必要だ。

 

 私が所属したその教会でも、新しい教会堂を建てるという目標があり(おそらく教団本部から指示されたのだろうが)、毎週、全員が “教会堂を建てる資金が集まることを神様に祈る” という儀式が行われていた。

 

 キリストの教えは素晴らしい。でもこれを人々に知らせるためには奉仕人の生活をみなければならないし、人々の目を引く建築物も必要。何から何までお金がいる。

 協力したいと思えば、財布からお金を出してしまうだろう。

 

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)でも同じような状況だと思う。

 

 私の親しくしている人に元統一教会の教会員の方がいる。

 彼の母親は熱心な信者らしく、この団体に多大なお金を献金していた。私が彼と会った時、彼は親の借金を返すために働いていた。

 

「うちほどお金がかかる宗教団体もそうそうないよ」彼は苦い顔をしてそう言った。

 

 そんな彼だが、統一教会から脱退した今でも、はっきりと「私たちの信じていた教えは良い教えであり、これを広めることは良いことだ」と言う。

 

 統一教会の持つ教義は一般的なキリスト教の教義とはかけ離れている。私は統一教会キリスト教の一派と認めることができない。そのことで彼と言い争いになったこともある。でも、確かに統一教会の教えも、良い教えには変わりない。

 

 「世界を変えたい」

 

 それは誰もが願うこと。

 一人一人の個人には世の中を変える力はない。でも宗教団体なら、それを叶える力がある。

 

 世の中は不幸で満ちている。そんな世の中を変えることができるなら、そう思えばこそ、多額の献金をしてしまうのだろう。

 

 私は今はどこの団体にも属さない単立のキリスト教会に通っている。

 ここには什一献金はない。礼拝時に1度献金するだけだ。

 私は教会堂の維持管理のため、日曜礼拝の時、千円だけ献金している。

 今の教会は、牧師を雇うことができず、教会堂もボロい。教団に入っていないので楽しい企画もない。同じ信仰を持つ人たちと集まり、時々訪れる巡回牧師の下で神様の言葉を聞くだけだ。

 

 

こちらで取り上げた記事は以下の記事です。私は紙媒体の新聞を買って読みました。

www.nikkei.com