聖書ギリシア語の夕べ

日本聖書神学校の聖書ギリシア語通信講座でコイネー・ギリシア語を勉強しています

14)日本聖書神学校の添削指導のペン入れの字は判読不明なことがあります 20

 

 添削指導のペン入れの字ですが、総じて雑であり、判読不明なこともあります。

 相手は先生という立場なので、こちらから文句は言えませんが、読めないのは、さすがに困ります。

 手書きで文字を書くのは手間のかかる作業なので気持ちは分かるのですが、もう少し丁寧に書いてもいいものではないでしょうか。

 

 昔の先生はまるで活字のように綺麗な字を書きましたが、今の先生は普段はキーボードで文字を打つため総じて字が汚い。

 でも教育者なら、他人を教えるために字を書くのであり、他人がわかりやすい、少なくとも読める字を書く必要があると感じます。

 

 私自身、字がうまい方ではないので、手書きで書くのは苦手です。

 でも、下手は下手なりに丁寧に書くことで、相手が読める字を心がけています。

 文字を書くのは手間ですが、文字が雑だと、その人の添削指導する気持ちまで読み取れるようです。

 また、雑ならまだしも、読めないと、ペン入れの意味がなくなります。

 

 添削指導を受けられる方は、ペン入れの字が判読不明なこともあることを覚悟しておく必要があります。

 

 今の時代、文字を手で書くことは少ないですが、手で書かざるを得ない状況があるので、少しは練習しておかなければいけないなと感じます。

 小学生向けの書き取り教材など見ると、”大人こそ書き取り練習が必要ではないか?” と思われます。

 それにしても、字の汚い大人が増えましたね。綺麗に書くことが手間なのは分かりますが、ぐちゃぐちゃぐちゃと書いてすませるのは、やめて欲しいです。

 仕事などでも汚くて読めない字を書く人がいて、困ったものでした。

 字が綺麗なだけで相手へ誠意が伝わる。手間でも綺麗な字を心がけたいものです。

 これは汚い字を書きがちな私自身への反省でもあります。

 

 

 余談ですが、前回あげました ”添削指導のいい加減さ” と、今回取り上げました “字の雑さ” などから、正直、日本聖書神学校の教育に対する姿勢が読み取れてしまいます。

 牧師を目指す人なら、ちょっとこの学校はやめておこうと考え、他の学校へと流れてしまうかもしれませんね。